
墨田区三田会の皆様
昭和53年卒の貝崎です、10月に入って如何お過ごしですか?
毎回「お城シリーズ」をご覧いただき、ありがとうございます。
今回は、岐阜城と犬山城をご紹介します。
▪️岐阜城
名古屋から東海道線で約20分、意外に早く岐阜に到着します。
岐阜城はもとは稲葉山城といい、濃尾平野の北端/金華山の山上に築かれた城です。
金華山は標高約340mの険しい山、北側は断崖絶壁、眼下には長良川が流れています(山上へは麓からロープウェイに乗り、さらに10分ほど山道を登ります)。
すでに鎌倉時代には城の原型があったようですが、それを大改修して本格的な城郭に仕上げたのは国盗り物語で有名な斉藤道三です。
永禄10年(1567年)に織田信長が斉藤氏を攻略して、天下布武の本拠地と定めました。
山道から徐々に見えてくる城姿は貫禄があり、青空にもよく映えて実に見事です。
現在の天守は望楼型、三重四階のシンプルな造りで、戦後に復興されたものです。
見逃せないのが、麓の居館や天守台、山道途中の曲輪に配された石垣群です。
便利な機械や道具がなかった戦国
時代に、どうやって険しい場所に積み上げたのでしょうか。
織田信長と岐阜城、映画legend & butterfly にも登場したロマンに満ちたお城です。
なお、高校野球ファンでもある筆者は、今夏の甲子園で大活躍した県立岐阜商業を訪れてみました。
何度も優勝した名門校ですが、昭和11年夏優勝メンバーのうち5名が戦死した悲劇の歴史もあります。
▪️犬山城(国宝、現存12天守のひとつ)
名鉄岐阜駅から約30分で犬山に到着します(名鉄名古屋駅からも同じくらいです)。
犬山城は、天文6年(1537年)織田信長の叔父/織田信康が美濃との国境に築城しました。
木曽川沿いの小高い山の上に建てられた「後堅固(うしろけんご)」の造りで、見るからに「孤高の城」といった印象です。
犬山は中山道や木曽街道に通じ、 交通の要衝だけでなく、美濃攻めの拠点としても重要な地です。
天守は現存する日本最古のもの(国宝指定)、三重四階地下二階、古式豊かな望楼型です。
やや小振りですが、天守上部の入母屋破風と唐破風がアクセントになり、白漆喰と黒い板張りのコントラストがよく似合います。
天守からの眺めはまさに絶景で、眼下に広がる木曽川の先に濃尾平野を一望できます。
戦国期は城主が目まぐるしく変わりましたが、徳川期になってからは尾張徳川家の付け家老/成瀬家が城主となり、城下町の整備をすすめて明治維新を迎えています。
















