
墨田区三田会の皆様
昭和53年卒の貝崎です。
毎回、お城シリーズをご覧いただき、ありがとうございます。
前回に引き続き、九州の2城をレポートします。
▪️大分府内城
宮崎から日向灘に沿って日豊本線を北上、特急に乗って約3時間で大分に到着します。
大分というと戦国期のキリシタン大名/大友宗麟を思い浮かべますが、大友氏の館(城)は市内の別の場所から発掘されています。
大分府内城は、当初石田三成の妹婿/福原直高が手掛けましたが、関ヶ原の戦い後に竹中重利が引き継いで完成させました。
熊本から石工、大阪から大工、京都から瓦師を招き、当時としては最新技術の集積でした。
本丸を二の丸、三の丸がL字型に囲む縄張りで、各々の曲輪も内外の堀を絡めて橋で連結されており、極めて防御に優れた構造といえます。
主な城郭は残っていませんが、城跡は公園として市民に開放されています。
▪️岡城
大分から豊肥線に乗って約80分、内陸の豊後竹田に到着します。
岡城は標高318mの天神山に築かれている山城、筆者は駅から電動サイクルで約30分、急坂を登ったので息も絶え絶えでした(笑)。
古くから、岡城には悲運の名将・源義経を九州に迎えるために築かれたという伝説があります。
やがて大友氏の氏族・志賀氏の居城となり、天正14年(1586年)島津氏との 壮絶な戦いを退けて、豊臣秀吉から「難攻不落の城」と称えられた名城です。
その後も、初代城主の中川秀成が高石垣を多用して本丸と曲輪を整備、断崖絶壁上の壮麗な石垣群が築かれました。まさに圧巻です。
しかし、明治になると城郭はすべて解体され、その退廃したイメージから瀧廉太郎の「荒城の月」が生まれたといわれています。
春高楼の花の宴
めぐる盃影さして
千代の松が枝わけ出でし
昔のひかり今いずこ
なお、岡城に向かう途中に「広瀬神社」という立派な神社があります。
ご存知かも知れませんが、日露戦争の軍神/広瀬武夫中佐(旅順港閉塞作戦で戦死〕を祀った神社です。同中佐は豊後竹田の出身です。
思わず天を仰いで、司馬遼太郎の名著「坂の上の雲」を思い起こした次第です。
















