すみだ社中交歓すみだ社中交歓㉛ 〜貝崎さんお城巡り〜
- 墨田区三田会
- 1 日前
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墨田区三田会の皆様
まもなく梅雨明けですが、三田会の皆様には如何お過ごしですか。
昭和53年卒の貝崎です、毎回「お城シリーズ」をご覧いただき、ありがとうございます。
今回は、佐賀の2城をご紹介します。
■唐津城
博多から、地下鉄空港線とJR筑肥線を乗り継ぎ、約90分で唐津に到着します。
唐津城は、関ケ原の戦いの武功で加増された寺沢広高が、7年をかけて居城を整備して
完成させました。
しかし、二代目藩主の寺沢堅高が藩内で起きた島原・天草一揆の責任を問われて減封、
死去すると寺沢家は無嗣断絶、その後は幕末まで5家、18代の譜代大名が領する波乱の
多い城となりました。
唐津城は半島状に突き出した満島山に築かれた平山城で、先端の最高所に本丸を置き、
その周囲に二の丸、三の丸を巡らせ、さらに高石垣で厳重に防御を固めています。
天守は肥前名護屋城をモデルに昭和41年に再建されたものです。
晴天ならば白壁が青空と海に映える美しい城姿を見ることができましが、残念ながら
当日は土砂降りの天気で撮影は叶いませんでした、残念無念。
■名護屋城
唐津からバスで約40分、朝市で有名な呼子港の隣に名護屋城跡はあります。
ご存知のとおり、名護屋城は豊臣秀吉が朝鮮出兵の基地として築いた陣城です。
陣城でありながら、本丸、二ノ丸、三ノ丸を中心に、高石垣で築かれた各曲輪が配され、
城域は約17万㎡にも及ぶ壮大な縄張りでした。
さらに城の周辺には、前田利家、伊達政宗、黒田長政、島津義弘、上杉景勝、加藤清正
など、全国の大名が陣屋を築き、一時は人口20万人を超える賑わいを見せたそうです。
しかし、豊臣秀吉の死により文禄・慶長の役が終わると、名護屋城は廃城となりました。
豊臣時代の絶頂期は、わずか7年間で潰えた次第です。
今回、廃城となった城跡を巡り、巨大な石垣が無造作に置かれ、草が生い茂る様を見る
につけ、在りし日の栄華と何とも言えない寂寥感に包まれた次第です。












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