皆さん、こんにちわ。昭和53年卒の貝崎弘和です。
今回は、北陸シリーズ3回目として、富山県と石川県のお城をご紹介します。
▪️高岡城

高岡は金沢と富山の中間に位置する商業地で、双方から20-30分程度の距離感です。
高岡城は、慶長14年(1609年)隠居していた前田家二代当主の前田利長が築城しました。
残念ながら城郭は残っていませんが、築城時の水堀が残り、本丸など7つの廓(くるわ)がそのまま保存されている貴重な遺跡です。
当時は豊臣から徳川政権への移行期にあたり、万一の戦いに備えた城が必要でした。
そのため、本丸、二の丸、鍛治丸、明丸、三の丸、本丸東、小竹藪の各廓を土橋でつなげた「連続馬出し(うまだし)」を築いた実戦的な縄張りが特徴です。
高岡城は高岡駅から徒歩15分、現在は古城公園として市民に開放されています。
▪️富山城

富山は東京から北陸新幹線で約2時間、グルメ好きには富山ブラックラーメンで有名です。
富山城は天文年間(1540年代)に築かれましたが、数度の争奪・変遷を経て加賀前田家の占有となり、江戸時代は前田家の分家が改修、居城としていました。
四周を水堀と河川で二重に囲み、特に北側は神通川をバックに堅固な造りとなっています。
城郭は復元されたものですが、白漆喰の城壁は豊かな水堀に映え、どこから見ても美しい。
また、正面の千歳御門は前田家の風格を感じさせる豪壮な造りです。
富山城は富山駅から徒歩15分、現在は公園として市民に開放されています。
▪️金沢城

かつて金沢の地は加賀一向一揆の拠点でしたが、織田信長の家臣/佐久間盛政が鎮圧して、天正8年(1580年)に築城したのが始まりとされています。
その後、天正11年(1583年)に前田利家が入城、大規模な改修を施して加賀・能登・越中(現在の石川県と富山県)の3カ国、約120万石を領有する最大の大名 でした。
金沢城へはバス便もありますが、筆者は金沢駅から徒歩(約20-30分)で向かいました。
金沢は戦災を受けなかったので、街並みを含めて金沢城の歴史的な建造物も数多く残されています。
重要文化財の城搦手の「石川門(桝形門)」や「三十間長屋」、「鶴丸倉庫」はその代表で、加賀前田家の歴史と風格を感じさせます。
さらに、平成年間に復元された「鼠多門・鼠多門橋」「菱櫓・五十間長屋」「河北門」「橋爪門・続櫓」は、幾何学的なデザインに魅了されるだけでなく、北陸の雨雪に耐えるようナマコ壁、鉛かわらを使用するなど、実用面を重んじた仕上げとなっています。
また、金沢城は石垣の見事さでも有名で、城内には「石垣巡り」ツアーも用意されています。
例えば、石川門の右側は「切石積み」、左側は「粗加工石積み」、玉泉院丸庭園の石垣群では「色紙短冊石積み」など、10カ所以上のバリエーションを楽しめます。

最後に、金沢城に併設された兼六園の「成巽閣(せいそんかく)」について触れておきます。
成巽閣は、文久3年(1863年)に前田家13代斎泰が母の眞龍院(鷹司隆子)のために造営した奥方御殿です。
二階建て、寄棟造り、階下は「謁見の間」を中心に、「亀の間」「蝶の間」など前田家に相応しい風格と優雅さを備えた書院造りです。
一方、階上は鮮やかな群青色を用いた「群青の間」を中心に「群青書見の間」「網代の間」など天井や壁、床間の色彩や材質に意匠を凝らした数奇屋風書院造りとなっています。
華やかな色彩や優美に描かれた花鳥、作庭の意匠など母君への心遣いに満ちた御殿は、前田家が育んできた美術、工芸、文化の粋を総合して引き継がれた財産にほかなりません。
筆者が最も感銘を受けた、是非とも見学して欲しい場所です。
