すみだ社中交歓すみだ社中交歓㉜ 南北に流れる川なのに、なぜ「横川」? — 墨田区横川の地名の謎を解く
- Toshiaki Kobayashi

- 17 時間前
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墨田区三田会の皆様・読者の皆様
こんにちは & お疲れ様です。小林です。
ぼくは墨田区横川に住んでいて、ずーっと気になることがあります。この町の名前は「横川」なのに、近くの川はどれも北から南へ、つまり「縦」に流れています。横に走る川なんてどこにもありません。じゃあ、なぜ「横川」なのか。気になって調べてみたら、江戸時代の人々の「方向感覚」に行き着く、なかなか面白い話でした。
地名の由来は「大横川」
まず前提として、横川という町名は、町の西端を流れる大横川に由来しています。「大横川」は単に「横川」と呼ばれることもあり、町名は「横川沿いの町」という意味です。ちなみに川は「おおよこがわ」と読むのが主流ですが、町名は「よこかわ」と読み方が違います[^1]。
でも、これでは謎は解決しません。大横川こそ、業平橋のあたりで北十間川から分かれて、まっすぐ南へ流れる川なのです[^2]。南北に流れる川が、なぜ「横」なのでしょうか。
基準は「北」ではなく「江戸城」だった
答えはシンプルで、縦横の基準が方角ではなく、江戸城だったからです。
墨田区の南部(旧本所)や江東区の運河には、対になる川があります。
竪川(たてかわ):隅田川と旧中川を東西に結ぶ運河です。江戸城に向かって縦(東西)に流れることからこの名称になりました[^3]
横川(大横川):竪川と直角に交わり南北に流れる運河です。江戸城から見て横に流れることからこう呼ばれています[^4]
東京都建設局のWebページにおいて竪川は「江戸城から見て縦に流れていることに由来します。」と記載[^5]されています。また、江東区教育委員会の資料によれば、竪川の名は「江戸城から見てタテ、つまり放射状に伸びた運河であること」に由来し、横十間川や大横川は「江戸城から見てヨコ、環状に伸びたもの」だからその名が付いたといいます[^6]。また、平凡社『日本歴史地名大系』にも、大横川(旧・横川)は「竪川に対して横川と名付けられた」と記されています[^7]。
つまり江戸の人にとって「縦」とは、江戸城から遠ざかっていく放射状の方向のこと。それを直角に横切る環状の線が「横」になります。現代の私たちが地図を北を上にして見て「南北=縦、東西=横」と感じるのとは、ちょうど90度ずれてます。
これを実感できるのが江戸時代の切絵図(地図)です。本所エリアの切絵図は西(江戸城側)を上にして描かれる構図で、その向きで見ると竪川は画面の上から下へ「縦」に流れる[^8]。江戸の人々の頭の中の地図では、横川は本当に横に流れていたのです。
そもそもこの川たちは、明暦の大火が生んだ人工運河
もうひとつ知っておきたいのは、竪川も大横川も自然の川ではなく、江戸時代に掘られた人工の運河だということです。
きっかけは明暦3年(1657年)の明暦の大火(振袖火事)。江戸市中の大半を焼き尽くしたこの大火事のあと、幕府は火除地の設置や寺院の郊外移転を進め、過密化した市街地の受け皿として隅田川の東側——本所エリアの開発に乗り出しました[^9]。万治2年(1659年)、本所奉行の徳山五兵衛重政と山崎四郎左衛門重政の下で竪川が起工され、両国橋の完成を皮切りに、横川、十間川、北十間川などの水路網も整備されていきます[^10]。排水と水運のために碁盤の目状に掘られたこれらの運河に沿って道筋も整備され、その碁盤の目は現在の墨田区にも残されている[^11]。横川の町を歩いていて感じる、あの整然とした街路は江戸の都市計画の名残です。
大横川は古くは「横堀」とも呼ばれた[^4]。「大横川」という名称に統一されたのは意外と新しく、1965年(昭和40年)の河川法改正のとき。それまでは流域によって亥の堀川、大島川など別々の名前で呼ばれていました[^2]。
まとめ:地名は江戸の視点のタイムカプセル
横川の町名は、西端を流れる大横川(旧称・横川)に由来する
「横」の基準は方角ではなく江戸城。城から放射状=竪、それに直交=横
江戸の切絵図は西を上に描かれ、その向きなら横川は本当に「横」に流れる
竪川・大横川は明暦の大火後、万治2年(1659年)頃から掘られた人工運河
「横川」という地名は、360年前の江戸の人々がどちらを向いて暮らしていたかを、今に伝えるタイムカプセルなのです。北を上にした地図に慣れた現代人が「横に川なんて流れてないじゃないか」と首をかしげること自体が、時代の視点の違いを物語っています。
今度、大横川親水公園を散歩するときは、ちょっと西の方——かつての江戸城の方角——を意識して歩いてみてはいかがでしょうか。そうすると、足元の川がたしかに「横」に流れて見えてくるかもしれません。
ちなみに、最近小林は自社のブログ記事作成に励んでます。
よかったら見に来てください!(^^)/
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出典・参考資料
[^1]: Wikipedia「横川(墨田区)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/横川_(墨田区) — 町名が大横川に由来すること、読み方の違いについて。
[^2]: Wikipedia「大横川」 https://ja.wikipedia.org/wiki/大横川 — 流路(北十間川から分流し南下)、1965年河川法改正での名称統一、旧称(亥の堀川・大島川)について。
[^3]: Wikipedia「竪川(東京都)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/竪川_(東京都) — 「江戸城に向かって縦(東西)に流れることからこの名称となった」との記述。
[^4]: 東京都建設局「大横川|荒川水系」 https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/river/kankyo/ikimono/river/river_suikei_arakawa/river_ooyokogawa — 「江戸城から見て横に流れることから、このように呼ばれています。古くは横堀と呼ばれていました」との記述。
[^5]: 東京都建設局「竪川」 https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/river/kankyo/ikimono/river/river_suikei_arakawa/river_tategawa
[^6]: edo→tokyo「江東、深川都市化の跡-竪川」 https://edokara.tokyo/conts/2017/04/07/196 — 江東区教育委員会『江東区の文化財7』を出典とする、放射状=タテ/環状=ヨコの命名原理の解説。
[^7]: コトバンク「大横川」(平凡社『日本歴史地名大系』) https://kotobank.jp/word/大横川-3044305 — 「横川とも称した(風土記稿)。竪川に対して横川と名付けられたという」との記述。
[^8]: 素浪人・サンダルニャーゴの日々「東京回想・消えた川 竪川」 https://ameblo.jp/sandal-nyaago/entry-12794645431.html — 江戸切絵図が西を上にして描かれ、竪川が上から下に流れる構図であることの解説。
[^9]: edo→tokyo「江戸時代の墨田区」 https://edokara.tokyo/area/tokyo-sumida — 明暦の大火(1657年)と、それを契機とする本所エリア開発について。
[^10]: 前掲 edo→tokyo「江東、深川都市化の跡-竪川」 — 万治2年(1659年)の竪川起工、本所奉行両名、両国橋完成を皮切りとした水路網整備について。
[^11]: 前掲 edo→tokyo「江戸時代の墨田区」 — 運河が排水・水運目的で碁盤の目状に整備され、現在の街路に残ることについて。

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